なぜ、ボクが動物の医療にこだわるのか・・・・
それは、数年前飼っていた犬「ロクちゃん」を亡くしたからです。関連ページ>>>西洋医学の現状〜人も動物もおなじ〜
これはボクの妹が記したものです。
「愛犬ロクとの想い出」
愛犬ロクが亡くなったのが平成11年6月13日ですので今から6年ほど前になります。
出会いは、車も人通りも無く静まり返っていた昭和60年元旦の朝でした。
どこからともなく「クウーン、クウーン」か細い犬の鳴き声が聞こえ、
家のベランダからその声の主を探すと、
少し離れた路地に小さな小さな仔犬がちょこちょこ動くのが見えました。
私は一目散に外へ駆け出して行き、震える一匹の仔犬を上着の中に包むように抱きかかえ
家へ連れて帰りました。
それがロクとの最初の出会いです。
雑種の女の子。
柔らかな毛は短くて白く、背中にカタカナの『ヨ』の字のような薄茶の模様があり、
大きくて真っ黒な瞳は何とも愛らしく、ガラスのようにキラキラとしていました。
生まれて1週間か2週間か・・・それほどの大きさでした。
両親に飼いたいと何度もお願いをしましたが「かわいそうだけどウチではダメだよ」と。
そこで友達ひとりひとりに電話をしてみたところが引取り手は全く見つからず・・・・
泣く泣くその子をオーバーの片身ごろに包むようにして外へ出ました。
近所の住宅1軒ずつを尋ねて歩くことにしたのです。
今から思うと自分でも考えられない事です、
近所とは言え話した事もない他人の家を訪ねて回るなんて!
その時は必死で時間が経つのも忘れて歩きました。
歩いて歩いて歩いて・・・・
気が付くとすっかり日も暮れて辺りが暗くなり、だいぶ遠くまで来ていました。
しかし飼ってもらえる所は一軒も見つかりません。
「どうしようか・・・アナタのおうち見つからないねぇ。お父さんに怒られちゃう・・・」
そんな事を言いながらオーバーの襟から中を除くと、
イイ子にしていた仔犬が悪そうにこちらを見つめています。
私の目から涙が溢れて来ました。
このまま家へ連れて帰るしかありませんでした。
帰宅し、ドキドキしながら父に言いました。
「どこも見つからなかったよ」
その言葉に父はしぶしぶと答えました。
「そうかぁ、こんな時間になるまで探したんだもんな。仕方ない、ウチの子になるか」と!
その瞬間から仔犬は私の家族の一員となったのです。
昭和60年のお正月ということでロクと名付けました。
トイレのしつけからお座り、お手、おあずけ、お返事、子供を育てたプロである母が色々と教え、
ロクはその全てをきちんと覚えていきました。
次第に高度になり、
「お返事ふたつ」と言うと「ワン、ワン」と2回返事をし、
「小さくお返事」と言うと、声にならないようなかすれた声で小さく返事をするほどになりました。
ご飯はドックフードの他にキャベツの千切りと少量の挽肉を煮てあげました。
冷蔵庫をのぞいて
「ロクちゃんのお野菜がないわねー」「ロクちゃんのお肉がなかったねー」と、
その為だけに買い物へ行く母の姿を見た事もありましたし、
どんなに野菜の高い時期でもロクのごはん用に買って来ました。
朝・晩2回の食事はいつも器の外側からキレイに食べて行き、
空っぽになると下に敷いていたタオルで、器を鼻先で器用に包み「ごちそうさま」をしました。
週に1回のお風呂は父が入れました。自分が入る時に一緒に入るのです。
「ロクちゃんちょうだい!」
その言葉でロクをお風呂場まで連れて行き
「ロクちゃん出るよー」と言われて迎えにいきました。
小さな仔犬の時から成犬(中型犬)となり、
あの悲しい別れの前までずっと父がお風呂に入れてくれました。
今では同じように三人の孫をお風呂に入れています。
朝のお散歩は私の当番でした。
ロクは自分が犬と思っていないのか、どんなに吠えられても他の犬には全く興味を示さず、
決まったコースをひたすら走ります。
当時、高校生でバスケット部に所属していた私でしたが、
綱を持つ手をぐいぐい引っ張り走るお散歩はかなりハードなものでした。
ある朝、お散歩の途中で首輪が外れ、ロクの姿を見失ってしまった事がありました。
名前を呼びながら探しても見つからず・・・・
半べそをかきながら家へ帰ると、ロクはとっくに戻っていて朝ごはんを食べていました。
これには「やられた!」という感じでした。
ちゃんと自分の家をわかっていたのです。
また、雨の日のお散歩はとても嫌がりました。
なぜだと思いますか?
足が汚れるのが嫌だからです。
玄関のドアチェーンにロープを掛け、板の間で飼っていたので、
お散歩から帰るといつも足と体をきれいに拭いてあげました。
「前のアンヨ、後ろのアンヨ」
声を掛けると順に足をあげて拭かせます。
拭き終わるまで家の中には絶対入りませんでした。
そんな具合で、キレイ好きというか・・・・・
濡れている道、ぬかるんでいる所を歩くのが嫌いで、水溜りもよけて歩きました。
ロクとのお散歩には数え切れないほど沢山の思い出がありますが、
今でも忘れられないことがあります。
ある早朝のこと、いつものコースである静かな住宅街を二人でジョギングしていると、
だいぶ先から一匹の大きな犬がひとりでこちら目掛けて走って来るのが見えました。
見る見るうちに近づいて来て、私はギョッとしました。
大きなハスキー犬が「ウーーッ」と凄味を利かせて近寄って来るのです。
「ロクが危ない!」
助けを求めるにも早朝の静かな住宅街には人の姿はありません。
震えながらとっさにロクを抱き上げました。 
するとハスキー犬は私に飛びかかって来たのです。
立ち上るとその大きさは170cmある私の身長と変わらない程で、
恐ろしさに心臓がバクバクしました。
発情期の雄犬だったらしく、鋭い爪が私の足や胴、
腕にまで深く食い込むくらいに二本の足でしっかりと掴まれ、
のしかかってきて動けなくなってしまいました。
ロクは私の腕を解き払い、下へ降り、自分の何倍も大きなその猛獣に立ち向かっていったのです!
私をかばって勇敢に吠えかかり戦ってくれたのです。
そんな騒動にすぐ横の住宅からおじさんが飛び出てきて、
ハスキー犬をおさえ、私たちを家の中に入れてくれました。
姿が見えなくなるのを待ち、大急ぎで帰宅しました。
家に着くとホッとしたのか涙が止まらず、体のあちこちからは血が流れていました。
ロクは私の顔をペロペロ舐めて涙を拭ってくれました。
「もう大丈夫だよ!」そう言って慰めてくれるかのように・・・・・
私のために勇敢に戦い護ってくれたロク、ありがとう!
ロクが我が家にやって来てから15年の間には、私たち家族の中でも様々な変化がありました。
父の定年退職、兄の転勤、私の独り暮らし・・・・
何があっても、どんな時でも、ロクは皆の心を癒し、慰め、励ましてくれました。
言葉だけでなく気持ちをも読み取り、理解してくれていました。
一晩中、兄の愚痴に付き合っていた事もあります。
定年後の父はロクと二人で遠くまでお散歩するのが日課になりました。
砧公園や深大寺、春には桜の花が見事な野川の川沿いを・・・
行き2時間、帰り2時間、往復4〜5時間かけて歩きました。
「ロクはお父さんの健康管理をしてくれているんだよ!」
いつもそう言っていました。
そんなロクが耳の病気で病院へ行く事になりました。
考えてみれば、これがきっかけで体力が衰えていったように思います。
その時は片耳が腫れて水が溜まって痛がり、
うっとおしそうに痛い方側に首を傾けて頭をブルブル振っていました。
溜まった水を注射器で抜いてもらえば治るだろうか?
病院へ行くと手術をしなければならないとのことで、やむを得ず入院となりました。
初めての病院、そして初めての入院、さぞ不安だった事でしょう!
私たちにとってもロクがいない生活は初めて。
その間は心配で寂しくてたまりませんでした。
無事に手術は済みましたが、片側の耳はそれまでの姿と全く変わってしまいました。
大きくピンと張った耳はペタンと垂れ、手術で切り取られた分、大きさも小さくなっていました。
「耳がどうであれロクはロク、とにかく命が無事なら!」
私たちはロクの退院を心から喜び、変わらぬ愛情を注ぎました。
しかし片側の耳は元のように立つことはありませんでした。
年齢は13歳になり、以前と比べて元気がなく、食欲も落ちてきました。
手術の後遺症なのか?
年齢的なものなのか?
お腹にオッパイと同じくらいの大きさのオデキがいくつかでき、暫くすると化膿して膿が出てきました。
できては化膿し、膿が出て・・・の繰り返しで一向に良くならず、病院へ連れていく事にしました。
原因は乳ガンとの事でした。
赤ちゃんを産んだことのないメスには多いそうです。
また手術のために入院することになりました。
今度は前回と違い長期入院。
しかもガンということで言葉に表せないほどの心配で苦しい日が続きました。
病院から手術終了の連絡を受け、母と病院へ走りました。
ロクは腕に点滴をしてグッタリしていましたが、
私たちの気配を感じるとシッポをゆっくりふってこちらを見て立ち上ろうとしました。
たまりませんでした。
駆け寄って泣きながらすがりつきました。
数日後、少しだけなら歩いてよいとの許可が出ました。
一歩、二歩、たどたどしく、よろよろしながら、
病院の前の道をほんの数メートルだけですが点滴をひきずりながら歩きました。
折り返して病院へ戻ろうとすると嫌がり、自宅の方向へ足を向け、弱い力で踏ん張ります。
「いっそこのまま連れて帰りたい!」
病院へ戻す事に心が痛みました。
毎日お見舞いに行っては面会し、ほんの少しだけのお散歩をし・・・・・
ようやく待ちに待った退院の日を迎え帰宅しました。
しかし、それからというものの以前のように元気良く
シッポを上げて楽しそうにお散歩するロクは見られなくなってしまいました。
歩く速度は急激に落ち、シッポは下に垂れたまま・・・・
そしてとうとうあの日を迎える事になったのです。
私は実家を出て独り暮らしをしていました。
「もう二、三日かもしれない・・・・」
ある夜、母から連絡を受け、翌朝の始発電車で実家へ駆けつけました。
ロクは座布団に横になっていました。
「あぁ良かった、間に合った!」
座り込み、ロクの体に顔をすり付けて、
「ロクちゃんがんばれ!がんばれ!」
しかし・・・・・
反応がありません。
目も開きません。
ほんの数時間前のことだったそうです。
15歳でした。
私はその事実を自分の中に受け入れることができず、
まだ温かいロクの体を力いっぱい抱きしめ、狂ったうにように泣き叫びました。
ここ数日間、寝ずに看病していた母が目を赤く腫らせて、最期の様子を話してくれました。
ロクは横たわったまま頭をあげ、父にコクンコクンと3回頭をさげだ後、静かに息を引取ったそうです。
最期の力をふりしぼって「お父さんありがとう」と言ったのでしょう!
ロクは深大寺の動物霊園に眠っています。
そして父は今でも毎朝1時間半掛けて歩き、ロクに会いに行っています。
実家では写真の横にお花、そして炊きたてのごはんをあげています。
ロク、かけがえのない時間をありがとう。
15年間、本当にありがとう。
この世を去ったのは6年前のことではありますが、
この文章を綴りながら今でも溢れる涙を止めることができません。