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阿波藍染としじら織りスポーツ素材の
吸湿発汗地などの今思えば改良点も
多々思ってしまう作品群・・・
その当時は必死になって手探りのパターン作り・・・
草創期の思い出の品々を見ていただけて嬉しかった。
今ならもっと楽しさと遊びを取り入れるゆとりがあるかもしれない。

生まれてはじめて介護服を承り品として
ご注文を頂戴したのはT病院の特別病棟の
子供さんたちのだった。
紹介してくださる方の車ではるばる伺った三重扉の
向こうの世界・・・一番感動したのは看護婦さんたちの
御姿だった。

少しでも明るく楽しい生活の場にしようと
様々の工夫がされていて恐らく実の親にも負けない
愛情を降り注いで御世話していらっしゃった。

一日に三足ははいている靴下を食べてしまうので
その冷たい素足に心痛めていたまだ若い看護婦さん・・・
水頭症の子供さんに一生懸命童謡を唄ってあげている
看護婦さん半分眠りの世界に居る女の子を抱きかかえて
ゆりかごのように身体をゆったりゆすっている看護婦さん
控え室で白衣のまま恐らく子供達の衣類の補修で
ミシンにむかっている御年配の看護婦さん・・・・

歳月の彼方とはいえなんとも暖かく感動的な世界だった。
婦長さんや病室の責任者の方がちゃんとした服を
着せてやりたいのですといって今借り着のように
着せている男の子はブルー女の子はエンジの大人サイズらしい
ゆったりしすぎている服の洗い代えを何枚か
貸し出して下さって看護婦さんたちと五人がかりで
採寸した寸法を基本にできるだけ明るく楽しい服をとの
ご御要望を頂いて私の全身から汗が吹き出る想いの
奮闘がはじまったのを今は懐かしく思い出す。

それを原点としてユニバーサルフアッションの
勉強が私なりに始まったのだった。
家庭科と体操の時間はひたすら早く時間の
過ぎることを祈ってしまう不器用が服を着ているような
私が人様の衣服を扱うようになろうとは
思ってもみなかったことなのだ。

母が恐らく人並み以上に器用で
センスのある人だったのでなにもかも
おんぶ抱っこの私だったから
はるかはるか雲の彼方から地上をのぞき見て
はらはらしていないだろうか・・・。